幕末の動乱に身を捧げ、新しい時代の扉を開いた高杉晋作とその原動力となった奇兵隊の群像
【作品名】風の予言者 高杉晋作と奇兵隊
【設置年度】平成21年(2009年)8月20日
【設置場所】下関市竹崎町 竹崎公園(大歳神社の大鳥居のすぐ側)
【素材】ブロンズ
【サイズ】300cm×115cm×115cm
群像は1.3mの台座に上に高さ3.0mのブロンズ像が立ち上がる
『風の予言者』という言葉は、高杉晋作が日本の未来の行く末を暗示するうえで、その天才的な感性で世の流れを敏感に感じ取り、そのあるべき方向性を把握し、行動を起こしたというイメージを素直に強く感じたことから思い浮かんだ言葉でした。風の予言者とは正に、時代の直面する難局に際し、熱き心で臨む者。人心を激しく揺さぶり、時代を一変させる力を予感し、その風を呼び込む者との意味を持つ。
奇兵隊の持つエネルギーを
制作の出発点は、シンボリックな像とすることでした。まず下から上へ向けて、すっと伸びていくような形態にすることを基本に置きながら、奇兵隊士を岩という形で表現することとしました。具体的な人物の形となる高杉晋作は、この岩で表現された奇兵隊士に覆われ、これら一体となってエネルギー溢れ、悠然と立ち上がり左手は上方の「夢」「希望」「決断」を象徴した憧憬を掴む。さらにその上には彼方
ー 永遠あるいは普遍 ー に視線を送っている一羽の鳥が添えられている。
対話できる目線に
鋳造過程について言えば、高杉晋作のイメージに合うような着色をすること、デザインについては、高杉晋作の眼差しが、下から見上げたら、高杉晋作と眼差しが合って心を通わせ合うことができるよう意識して、高杉晋作がその熱い志を伝えるため、そっと語りかけてくる。制作者である私としては、そういうものをこの像へ求めました。
偉人の像を制作する場合は、いかに実物に似せるかが主になるのですが、『風の予言者』に表現される高杉晋作は、写真から離れ、むしろ明日へ向かう青年のような若々しさに溢れた顔です。人間の姿、形は年が経てば徐々に変わっていくものです。高杉晋作が持つ基本的な骨格についての特徴は活かしながら、資料や写真にあまり捕らわれずに表現しました。
風の予言者の制作に取り掛かってから、常に頭から離れないこと。
それは高杉晋作の魅力について何が多くの人を魅き付けるのか。
それが、幕府打倒の先鞭をつけた、若き急先鋒という勇まし姿にあるのか。或いは、攘夷、開国へとその志を貫き通すため、激動の時を、一気に駆け抜け若くして燃え尽きた青き獅子の強固な意思にあるのか。
繰り返しこのことを問いかけながら制作にあたってきた。
一命を懸け、大義を貫き通した晋作の波乱万丈な生き様。
歴史を大きく動かした晋作と、その原動力となった奇兵隊。
私が魅力を感じる点は、時代のうねりの中に浮き沈みする人間の、心の中の明暗と激情。
それらが織り成すドラマにあり、数多くの矛盾の間で喘ぎながらも、その志を貫徹した、儚くも、泥臭い人間性の中にある。
「おもしろき こともなき世を おもしろく」 高杉晋作の辞世の句
『風の予言者』を見にこられる方には、是非、台座部分に刻まれた詩文を読みながら、高杉晋作と心を通わせて欲しい。 心よりそう願っています。そのことが、作品を活かすことにもつながります。今の世の中が先行き不透明な時代だからこそ、世代を問うわけではないですが、特に若い方が像と会話して、明日へつながるような何かを感じてもらえれば、幸せに思います。世界は大きく変わったが、もしも、晋作が現在の我が国、現在の私達を見た時、何を思い、何を語りかけようとするだろう。
【風の予言者】
荒ぶる風
そよぐ風
耳を傾け
真実を求めて駈ける
われらは風の予言者
ここ下関の地に
風の予言者 高杉晋作と奇兵隊が
屹然と立つ
新たな旅立ち
我等は時代を揺り動かした
彼等の明日への志を
いま つなぐ
碑文・詩 野村忠司(山口県文化連盟会長)