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PERSONAL ATELIER & GALLERY GREEN RENAISSANCE

平家物語文学碑

『平家物語』第一巻「祇園精舎」

活動報告写真


【作品名】平家物語文学碑
【制作年度】平成11年(1999年)
【設置場所】下関市 赤間神宮  阿弥陀寺公園
【素材】ブロンズ


台座に『平家物語』第一巻「祇園精舎」が刻まれている。

   祇園精舎の鐘の声
   諸行無常の響きあり
   沙羅双樹の花の色
   生者必哀の理をあらはす
   おごれるものも久からす
   たヽ春の夜の夢のごとし
   たけきものもつゐにはほろひぬ、
   ひとへに風の前のちりにおなじ

【訳】

祇園精舎の鐘の音には、「諸行無常」、つまり、この世のすべては絶えず変化していくものだという響きが含まれている。
沙羅双樹の花の色は、どんなに勢い盛んな者も必ず衰えるという道理を示している。
世に栄えて得意になっている者がいても、その栄華は長く続かず、ただ春の夜の夢のようなものだ。
勢い盛んな者も結局は滅亡してしまう。それはまるで風に吹き飛ばされてしまう塵と同じである。


安コ天皇と二位尼時子

活動報告写真

8歳の天皇が海に入水するという悲劇的な史実 壇ノ浦の戦い

 1185年 壇ノ浦で平家の敗北が決定的になると、安コ天皇の将来を憂え、共に海に入水する覚悟をきめた二位尼時子。

 二位尼時子が、天皇を抱いて船上へ歩み出ると、「尼よ、私をどこへ連れて行こうとしているのか」と問う安コ天皇に、涙を流して、「浪の下の都に参られるしかございませぬ。参りましょう」というと、まだ八歳に過ぎなかった安コ天皇も戦いの様子と、だだならぬ祖母の言動に全てをさとり、涙ながらに、まず東に向かって、伊勢大神宮に小さく美しい手を合わせ、次に、西に向かって、いまから参るべき浄土にむかって合掌した。

 それを終えるのを待っていた二位尼時子は、安コ天皇を抱き上げると「波の底にも都がございます」と慰められて、安コ天皇と共に壇ノ浦の深い海へ身を投じました。

二位尼時子は辞世の歌を誦した。

 「今ぞ知る御裳濯川のながれには浪の下にも都ありとは」
  



赤間神宮



 1185(寿永4)年に源平壇ノ浦の合戦で源氏に敗れ、わずか8歳という幼さで入水して亡くなった幼帝・安コ天皇を平家一門とともに祀っています。

 関門海峡を望み、赤間神宮の水天門は、竜宮城を再現したような朱塗りの竜宮造りとなっています。壇ノ浦の戦いで生き残った安徳天皇の母・建礼門院徳子が、安コ天皇と二位尼時子が竜宮城にいる夢を見たことにちなんでいます。

 境内には、天皇陵、平家一門の七盛塚、小泉八雲の『怪談』にも取り上げられている盲目の琵琶法師の「耳なし芳一」の木像が安置された芳一堂があり貴重な資料を展示した宝物殿などがあります。

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